古いバッジから分かる中国の学校の歴史と特色

14年前、上海日報は葉山路にある葉文漢氏の小さな私設博物館でインタビューした。最近再び訪問しましたが、博物館が閉館していることがわかりました。年配のコレクターは2年前に亡くなったと聞きました。
彼の53歳の娘、葉飛燕さんはコレクションを自宅に保管している。彼女は、博物館の元の場所は都市再開発により取り壊されるだろうと説明した。
この学校のロゴはかつて私立博物館の壁に掲げられ、訪問者に中国全土の学校の歴史とモットーを示していました。
三角形、長方形、正方形、円、ひし形など、小学校から大学までさまざまな形があります。銀、金、銅、エナメル、プラスチック、布、紙などで作られています。
バッジは着用方法に応じて分類できます。クリップ式のもの、ピンで留めるもの、ボタンで固定するもの、衣服や帽子に掛けるものがあります。
葉文漢氏はかつて、青海省とチベット自治区を除く中国全省のバッジを集めたと述べた。
「学校は人生で一番好きな場所です」と葉さんは生前のインタビューで語った。 「校章を集めることが学校に近づく方法です。」
1931 年上海生まれ。生まれる前、父親は永安百貨店の建設を指揮するために中国南部の広東省から上海に移住しました。葉文漢さんは幼少期に最高の教育を受けました。
彼がわずか 5 歳のとき、葉は隠された宝石を探すために父親に同行して骨董品市場に行きました。この経験の影響で、彼は骨董品の収集に情熱を抱くようになりました。しかし、古い切手やコインが大好きな父親とは異なり、イェー氏のコレクションは校章に重点を置いています。
彼の最初の主題は、彼が学んだ宣光小学校からでした。高校卒業後、イェさんはいくつかの専門学校で英語、会計、統計、写真を学び続けました。
その後、Ye は法律実務を開始し、プロの法律顧問の資格を取得しました。彼は、困っている人々に無料の法律相談を提供する事務所を開設しました。
「父は粘り強く、情熱的で責任感のある人です」と娘の葉飛燕さんは語った。 「私は子供の頃、カルシウム欠乏症でした。父は1日に2箱タバコを吸っていましたが、私にカルシウムの錠剤を買ってもらえるようにその習慣をやめました。」
1980 年 3 月、葉文漢さんは 10 元(1.5 米ドル)を出して銀の同済大学の校章を購入しました。これが彼の本格的なコレクションの始まりと考えられます。
逆三角形のアイコンは、中華民国時代 (1912 ~ 1949 年) の典型的なスタイルです。右上隅から反時計回りに見ると、3つの角はそれぞれ仁、知恵、勇気を象徴しています。
1924 年の北京大学の校章も初期のコレクションです。この本は現代中国文学の第一人者である魯迅によって書かれ、番号は「105」です。
直径18センチを超える銅製のバッジは国立教育研究所から提供され、1949年に作られた。これは彼のコレクションの中で最大のアイコンである。最も小さいものは日本産で直径1cmです。
「この校章を見てください」と葉飛燕は興奮して私に言いました。 「ダイヤモンドがセットされています。」
この模造宝石は、航空学校の平らなエンブレムの中央に設置されています。
バッジの海の中で、八角形の銀のバッジはひときわ目立っています。この大きなバッジは、中国北東部の遼寧省にある女子学校のものである。校章には孔子の16文字の標語「論語」が刻まれており、道徳に反するものを見たり、聞いたり、言ったり、行ったりしないよう生徒に警告している。
葉さんは、父親が最も大切にしているバッジの一つが、義理の息子が上海のセントジョーンズ大学を卒業したときに受け取ったリングバッジだと考えていたと語った。 1879 年にアメリカ人宣教師によって設立され、1952 年に閉鎖されるまで中国で最も名門大学の 1 つでした。
英語学校のモットーである「光と真実」が刻まれたリング型のバッジは2学年限定で発行されるため、非常に希少です。葉の義理の弟はその指輪を毎日身につけており、死ぬ前に葉に贈った。
娘は「正直、父の校章に対する執着が理解できなかった」と語った。 「彼の死後、私はコレクションの責任を負い、どの校章にも物語があることに気づき、彼の努力に感謝するようになりました。」
彼女は外国の学校のバッジを探したり、海外に住む親戚に興味深い品物がないか気を配るように頼んだりして、彼のコレクションをさらに増やしました。海外旅行に行くたびに現地のフリーマーケットや有名大学を訪れ、コレクションを増やすことに努めている。
「私の最大の願いは、いつか再び父のコレクションを展示する場所を見つけることです。」


投稿日時: 2023 年 10 月 25 日